◆子育て相談 ◆家族関係コンサルティング  自分らしい生き方探し・・・メンタルトレーニング、カウンセリング、インナーチャイルドセラピー
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父の容態が低下し、一晩が過ぎました。

朝5時の巡回の後、目が冴えてしまい
私は病室を出ました。

父の病棟は10階で、この地域でも一番高いところにあります。

東西に伸びる病棟の両端には、ラウンジが設けてあり
外の風景が見渡せる憩いのスペースになっていました。

廊下へ出た途端、ものすごくまぶしくて
壁が真っ赤に染まっていました。

ラウンジのガラスの真正面から、
赤い光が廊下の奥までさし込んでいました。

導かれるようにラウンジへ向かいました。

早起きの患者さんたちが、もう何人かいらして
朝日を見ていらっしゃいました。


真っ赤な太陽、

昨日見たあの夕陽のままの
真っ赤な太陽が東の平野から昇ってきていました。


難しい理屈や説明は不要でした。


昨日の私の問いかけに対する答え、


人智を越えたすべてのことに対する答え、がありました。

立って対峙するのがやっと、

ひれ伏したくなるような、
ものすごい存在感でした。


太陽のすぐ左側に光が見えました。

地面の低いところからまっすぐ上昇していく一筋の雲。
太陽の光でひときわ明るく輝いています。

おそらく飛行機雲だと思うのですが
あまりにも、地面に垂直なので、
何かが天に昇っていくような、そんな感じでした。

母もやってきました。
「毎日のようにここから見てるけど、今日のはすごい」
と言っていました。


また会えた。約束通り。

昨日は、しずむ夕日を見ながら
本当に明日なんてやってくるのかと
思ったけれど、

あの太陽が新しい一日を
引っ提げて昇ってきた。

こうやって新しい今日が始まった。

時間の連続の結果でやってくるのではなく、
確たる意思を持って、今日という日が始まるんだ。。


何も終わらない。形を変えて続いていくだけた。

そう思いました。


胸が詰まって
今でもうまく言葉にできません。

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【2016/01/31 10:00】 | 親との関係
【タグ】 下関  メンタルヘルス  カウンセリング    
|
  
父は、目に見えて弱ってきていました。
病巣が大きくなり、
腸の通りをじゃまするのか、
もう長いこと食べていないのに、
吐き戻すことが
たびたびありました。

嘔吐、といっても、
喉をつたって上がってきたものを
口の端からにじませるように外へ出す、という
弱々しいものでした。

「こんなものまで、
口から吐き出さなきゃいけないのか、
もういいじゃん。
神様はまだ頑張らせるの」
と思いました。

そんな父を横目に、私と母は
「なんか・・・・近づいているよね」
と言いあいました。

それは、父の母方の祖母の命日でした。

「さまよう影」の人、その人でした。
その命日まであと数日に迫っていました。

一方、私もくたくたでした。

終わりはある、いつか、そう遠くはない。
でも、いつまで続くのだろう。
いつになったら、もとの生活に戻れるんだろう。

いや、父や母の方が私なんかよりずっと大変なんだ、
私は一人娘だからしっかりしないと。

そうわかっているけれど・・・・

共有できる きょうだいがいたら、
また違ったのかな。

9日だったか、
子どもたちを連れて病室に行った時です。

子どもたちがベッドのそばできゃっきゃしてるのを
私は、病室の入り口でぼーっと見てました。

中に入りませんでした。なんでかわからないけど。

でもそのことはよく覚えています。
他人事のような感覚でした。


あとで、母に言われました。

あの時、部屋に入ろうとしなかった私の顔見をて、
やばいと思ったと。

精神的にやばそうな顔してる、と。
休ませなきゃ、と思ったらしいです。

その夜、母にかわって
私が病院に泊まることにしていました。

子どもたちも
オットの実家への泊りに慣れてきていました。

夕方
私の方の実家に帰り、用事を済ませました。

台所の皿を洗い終わって、水切りかごを持ち上げたとき、
すきまからするりと皿が一枚落ちて割れました。

父がよく使っていた取り皿でした。

「・・・あぁ。そうなのか」
と思いました。

子どもたちはオットの実家で待っています。
夕食の時間ですが、
なかなか行く気になりません。

行けば、また母の顔 嫁の顔しないといけない。
そんな顔、できるかな。

実家を後にして、
途中の海岸へ行って車を停めました。

車の中でCDを聴きながら
傾く夕陽をぼーっと見てました。



明日また陽が昇るなら 新しい自分になってみよう
そんなこと思い見上げる 夜空はなんだかまぶしい

明日また陽が昇るなら あそこの海に行ってみたい
燃える砂を踏みしめて まるでバカみたいに叫びたい

何もかもがいやになったって かまわない
ただ嘆く それだけでもいい

哀しさやむなしさに包まれて 生き抜いて
優しさや喜びにふりまわされ 生き抜いて
互いに見せた笑顔を胸に 生き抜いて
        
    ( B'z  明日また陽が昇るなら )



夕陽を見ながら、思いました。

また明日は来るの?
明日の私はどうなっているの?
また、がんばらないといけないの?
もう、戻れないの?

家族がそろってて、
明日のこと何の不安もなく
はしゃいでいられた子どもの頃には、
もう戻れないのか・・・

どこにも答えなんかありませんでした。

もう、二度と戻れないということがつらすぎて
明日を迎える気力が残っていませんでした。

オットの実家に着いたのは19時ころでした。
子どもたちは夕食を済ませていました。

本当に頭が下がる想いでした。
オットの両親がいなければ、
乗り越えられなかった、って思います。

お風呂に入れ、寝かしつけたら、
母と交代する予定でした。

20時頃、母から電話がありました。

父の容態が悪化している。親戚を呼ぶように言われたと。

子どもたちが寝た後、
21時過ぎに病院へ向かいました。

病棟の食堂には、もう親戚が集まっていました。
心強く感じました。

母は、親戚の対応があるため、食堂に。

私が病室に泊まることにしました。

父には、モニターが着けられていました。

父は穏やかでした。
上体を少し起こした状態で眠っていました。
私は、うとうとしながら過ごしました。


静かに夜が過ぎていきました。
  
  


【2016/01/30 10:00】 | 親との関係
【タグ】 下関  メンタルヘルス  カウンセリング    
|

8月に入りました。
父は、だいぶ弱っていました。
この流れは、
もう誰にも止められませんでした。

その時その時の
父の姿を受け入れるしかありませんでした。


それができれば、
付き添い側の気持ちはだいぶ違うと思います。

人間は死ぬんです。

死ぬ、というのは、突然死や事故死でない限り
徐々に枯れていくプロセスです。

食べれなくなる、立てなくなる、起き上がれなくなる。
そうやって、いつでもバランスを取りながら
徐々に枯れていくのです。

いたずらに人為を加えず、
枯れるように亡くなっていく人の死は平穏そのものです。

また、いずれ祖母の時に書こうと思いますが
それは生まれると同じくらい尊いプロセスなんです。

父は、もう筆記はできませんでした。
YES/NOの簡単な手振りで意思疎通していました。

ベッドで寝て過ごす父の足は、パンパンに腫れて
赤ちゃんの足みたいでした。

もう立ち上がれない足。

すらっとしていた父。

これまで触ったことのない父の足に触れるのは、
少し躊躇しましたが
私は、マッサージしました。

1時間近くマッサージすると、
足の水分が体のほうへ移動し、
昔のようなすらっとした足に戻りました。


母、私、子どもたち、義両親

父の周りの人たちが、
みなギリギリのところでなんとかやっていました。

張りつめた糸のどこかが切れたら、
ドミノのように一気に崩れていくような、
危ういバランスを感じていました。

それは私も例外ではありませんでした。


【2016/01/29 10:00】 | 親との関係
【タグ】 下関  メンタルヘルス  カウンセリング    
|
  
家族や仕事仲間のふとした行動に、
一瞬でアタマに血が上ることがありますね。

ありません?私だけ?(笑)

その時に、
もう我慢できなくて、
打ちのめして  もとい
ひとこと言ってやりたくて
相手のことを速攻で否定します。
  
秋頃のことだったかな。

土日とか部活で疲れて帰ってきた長男が
自分の部屋で、すんげ~静かだな~とか思って
のぞいてみると
案の定
寝てるんですよ。

外でテニスやったジャージのままで!
ベッドで!!
布団までかけて!!

これに
「えぇぇ~!!?」、て思ってくださる奥さん!!

この気持ちわかりますよねぇ。

私、最初見たとき、
「!!!」 Σ(ω |||)  

かたまりました。

で、昔なら
たたき起こして文句言ってたと思うんですけど。

この時は思いとどまりました。

で、とりあえず部屋を出て(その場から離れて)、
ものすごくイライラ・プルプルしている自分の感情を見ました。
ひとり二役で。

一緒にシミュレーションしてみてくださいね。


何に怒っているの?
外で運動したジャージで寝たら、布団が汚れること

許せないの?
許せない。なんか許せない~

でも、あの布団は私の布団じゃないよね
そうだね

あいつの布団だよね
そうだね


私があの布団で寝るわけじゃないよね
そうだね。でも、パジャマに汚れが移りそうだよ

でも、そのパジャマ、私が着るわけじゃないよね
そうだね


それに、汚れたら洗えばいいじゃん
ごもっとも

自分の布団だったら注意するけど、
彼の布団で彼がしていることなら、別にいいんじゃない?
私には関係ないよね。

・・・そうだね

じゃあ、なんで、あんなに怒ってたんだろうね
なんでだろうね

私の布団に実害がない=私は困るわけではない

そういう結論に至ったところで
長男のうたた寝問題を、
自分の意識から「切り離し」ました。


それ以来、うたた寝していても、
気にならなくなりました。

あ! でも、
汗に蒸れて足跡が床につく茶色い靴下は
帰宅したら脱いでもらいます。
脱いで足を洗ってからリビングに来るように伝えています。
本人もちゃんとわかってくれています。

アタマの中で、あの一人二役の会話を
走馬灯じゃないですけど
一瞬でするんです。

ポイントは、
「なんか許せない、むかつく~」という感情を
しっかり感じることです。

感じている時は、
ちょっとした感情の渦の中に巻き込まれています。

感じながら、
「どういうところが許せないと感じるのか」
ていねいに探っていきます。

なんとなく感じているものの「正体」を見るようとすること。

それは、自分の足で渦の中心へと
近づいていく感覚です。

すると・・・見えるんですよ。

渦の中心が。

渦の中心には、何があると思いますか?

なにもありません。

天気図の台風見るとよくわかりますね。

感情の渦の中には、何もないんですよ。


何もないのに、
「何だかよくわからないけどゆるせない~ 
とりあえず 文句言っとくか~」って
何かにしがみついている自分がいます。

でも、よく見るとね、
しがみついているものって
けっこう、しょうもない信念だったりするんですよ。

それを
「しょうもな」って思えたら、
しがみつくのがあほらしくなります。

で、しがみついていた手をパッと放すと
渦は消えていきます。

「自分と向き合う」
「自分の内側に目を向ける」って
こういう感覚です。

自分の感情をどんどん因数分解していく。

「それって、どういうこと?」って。

そうすると、
最後に残るのはしょうもない「執着」なんです。

え~私。こんな小さなことにこだわっていたの?
って思えたら、
その執着は手放せます。

「だあって、相手が~」
じゃないですよ。

こだわっているのは自分の方ですから。

日々感情にふりまわされて
身動きの取れないそこのあなた

感情というのは渦です。
あなたの執着が、その渦を自ら大きくして
巻き込まれているんです。

感情を解体するには
「見る」ことです。

しっかり足を地につけて
その感情の渦を見きわめること。

渦の中心には、何もない。

何もないことに気づいたら、
もう二度とその渦は起きない。

問題解決の方法は
長男のうたた寝を阻止する
=相手の行動を変えさせる ことじゃないんですよ。

長男がどんな汚いかっこでうたた寝しようが(笑)
私が気にしなければ、
問題は何も起こらないんです。


そんな意識の切り替え方を、
ひとりでも多くの方に学んで、実践してほしいと思います。




今のところ
3回コースで
心の渦を解体するためのマンツーマン勉強会をしています。

3回コース(3カ月程度) 15,000円です。

その方に合った、メニューを汲みながら
意識の切り替え方をお伝えしていきます。

小さな子どもの問題行動
思春期の子どもとの接し方
きょうだい関係の調整
夫婦のパートナーシップ
親との関係改善

3回の勉強会で
思いグセの改善と、新しい行動への実践方法を
マンツーマンで学びます。
次回セッションまでにホームワークをすることで
日常生活での変容を促します。

単発のセッションと違い
セッション期間中は、
メールや電話にてフォローします。

3回の勉強会で、完全によくなる!というよりは
これから先の変容への道筋をつける
助走だと思っていただければいいです。


ピンと来た方はご連絡ください。

080-5209-2240
life.team307@gmail.com

澄田順子




【2016/01/28 11:00】 | こころのおはなし
【タグ】 下関  メンタルヘルス  カウンセリング    子育て  思春期  
|
   
  
自宅で 半月ほど過ごした父は
体力が低下し再び入院となりました。

もう、ベッドを降りることはできませんでした。

母は5月の入院からほぼ連日病院に泊まり込んでいました。

一時退院した時も、回復しての退院ではなかったので、
母の負担は途切れることはありません。

高血圧の薬を飲んでいる母の体のほうが心配でした。
母が倒れたら、共倒れだという気持ちが常にありました。

一学期が終わるのをじりじりと待って帰省しました。

母の代わりに私が病院に泊まることにしました。
かといって、孫と一緒ではゆっくり休めないだろうから、
その時は義父母に孫の面倒を頼みました。

義父母は快く引き受けてくれましたが、
自分たちだけで小さな子どもを一晩預かる・・・・なんて
初めてのことでした。

長男は一度寝てしまえば起きないので
あまり心配していませんでしたが
当時2歳の娘は、ママっ子で、
ちょっと心配でした。

オットの実家で夕食を食べさせ、風呂に入れ
寝かしつけてから病院へ行き、
母と交代しました。

朝、早いうちに戻ると、子どもたちは元気にしていましたが。
義母はほとんど眠れなかったようでした。

子どもが寝返り打つたびに、
掛け物は大丈夫か、布団からはみ出さないか、
気になって寝るどころじゃなかったようでした。


母は久しぶりによく眠れたようで
ホッとしました。

しばらくして
その日もオットの実家に泊めてもらっていました。

夜中起こされて。

義母が、体調が悪いと。
心配なので、救急へ行ってもらいました

すぐに治まったようで、夜のうちに帰ってきました。
疲れが出たのでしょうとのことでした。

義母は逆に心配かけたと、申し訳なくしていましたが
私は「しまった」という思いでした。

義父母の好意に甘えて、頼りすぎてしまった。
巻き込んだ・・・。

私と母で何とかしなきゃ・・・・。

そういう想いが強くなりました。

父の後ろで見えない渦ができているようでした。
静かに緩やかに、でも確実に周りのものを巻き込んでいく。

そんなことをぼんやりと考えていました。

その一方、父は穏やかでした。
緩やかに緩やかに 歩んでいく。

ルート確保の小さな点滴と、喉の穴のところに酸素マスク。

積極的な医療はそれくらいでしょうか。

私も母も「医療過多」をたくさん見てきました。

食べられなくなったという理由だけで、高濃度の栄養点滴
結果全身がむくんで、利尿剤と強心剤
血糖が上がって、インスリン

手を加えれば加えるほど、「自然」から遠ざかっていく。
そして、一度つないだものはやめられない。

求める側がわるいとか、施す側がわるいとか
そういうことじゃないんです。

なすすべなく、手をこまねいて
病状が進行するのを
見ているだけではないのかという罪悪感に、

なにか施すことで
その想いを紛らわせているのかもしれません。

ただ、そうやって
命の営みのバランスを崩していくのを
嫌というほど見てきた私と母は

父の歩みを、私たちの薄っぺらい思惑で
いじってはいけない、
と、一貫して思っていました。

「自然に、自然に」が合言葉でした。

ただ、不思議なことに、父には「痛み」というものが
まったくあらわれていませんでした。

消化器は痛みを感じやすい部位なのですが
初期ならともかく、これだけ進行していて・・・・・。

というのを、母と不思議に思っていました。

父の顔がいつも穏やかなので、
周りにいる私たちも精神的に助けられていました。

痛みは想像を絶するもので、
ご本人も、周りで見ている方も辛いものです。

けれども
父のいる病室には
悲壮感はなく、穏やかな空気が流れていました。

奇跡の回復は起こらなかったけど、
何らかの護りが働いているのかな、と母と言い合いました。




【2016/01/28 10:00】 | 親との関係
【タグ】 下関  メンタルヘルス  カウンセリング    
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