◆子育て相談 ◆家族関係コンサルティング  自分らしい生き方探し・・・メンタルトレーニング、カウンセリング、インナーチャイルドセラピー
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先日金曜日、9月から始めたうちうちのヨガクラスが
最後の日を迎えました。

24日、27クラス、させていただきました。

声をかけたのは、同じ幼稚園のクラスのママさん。
予約なし、一回制料金のクラス。
月謝制のような、月契約を取らなかったため、
当日になるまで誰が来るのかわからない・・・という
主催者側にとっては、精神を鍛えられる状況でしたが
いつも誰かが参加してくれました。

そこで交わす、ちょっとしたやりとりに
ヒントをもらったり。

参加してくださる人が来なければ、続けられない。
こうして終わってみて、本当に感謝です。

あ、一回だけ、場所を変えた初日、誰も来ませんでした。

毎回、会場の準備をしながら
「今日、誰も来なかったらどうしよう」という不安と向き合っていましたが

いざ、その日が訪れてみると、
「こんなもんか」みたいな。
いや、その後、自主練しながら、いろいろな感情と向き合いましたが
そこで、また吹っ切れたものがありました。

3月20日、その日もレッスンをしたんですが
その日、新月だったんですね。

参加者さんが来るのを待ちながら、
私にとっては、「何かが終わって、何かが始まる」というような
感触がずーっとしていました。

で、その日、「刷新」「刷新」という言葉がやたら浮かんできたんです。
目にもしたし。

9月からモニタークラスと称して、ヨガ教室を始め、
11月から場所を変えてクラスを続けました。
この時に、私の中には「ヨガを通してこういうことがしたい」というものが
わりとはっきりとあったのですが、
それは私の中の単なるエゴではないか、という懸念と
具体的にどうしたいのか、というのが見えていませんでした。

12月に塾長とお話した時、
「何で、モニターにしてるの?オープンにしたら?」という話になり。

私が、次へ進むことを恐れていることを指摘されたんですけど。
私は「3月まではこれでいきます」と、まぁ、半分逃げるようにして
返事したわけです。


そして、そこから、
怒涛の浄化期間が始まり、3月を迎えました。

そして、ようやく「刷新」の意味と、4月から始める意味と、
自分が何を、どのようにやりたいのか、
はっきりと捉えられるようになってきました。

引き延ばした時間は、無駄ではなかったと、
ちゃんと準備のためだったと、静かな気持ちで思います。

これまでのご縁に感謝し、
4月から始まる、また新しいつながりを信じて、
一歩、踏み出そうと思います。


・・・・今日は ふつうの 文だったな(笑)






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【2015/03/29 10:00】 | お知らせ ・ 告知
|
原風景 (Wikiより)
原風景(げんふうけい)とは、人の心の奥にある原初の風景。
懐かしさの感情を伴うことが多い。
また実在する風景であるよりは、心象風景である場合もある。
個人のものの考え方や感じ方に大きな影響を及ぼすことがある。

多くは幼少期の生活環境が根本にある場合が多い。
多くの場合、それらは懐かしさの感情を伴い愛着を感じることが多いが、
その人の生い立ちによっては不快な感情を伴う場合や強い感傷を催す場合がある。
また、しばしば原風景は美化されたり、自らが都合のいいように変化していたりする。


* * * * * * * * * * * * *


昨日は、311でした。
311は、遠く離れた地に棲む私にも大きな影響を与えました。

この地震の時すでに、かれこれ10年、自分探しをしてましたが
それは まだスピ色の強い、ふわふわとした自分探しでした。
本当に見るべき痛みを見てませんでした。

この年の夏に、これではいけないと、きちんと向き合おうと決めて、
試行錯誤しながら形にしたもの。

ありがたいことに、
それが、今の私の活動のデータベースになっています。

誰かの受け売りではなく、自分の経験と自分の言葉で表現できるもの

経験こそが財産、それを身を以って感じています。




さて、4年目の311。

私は、午後、勉強のかたわら、それにちなんだワークをしました。

そうしたら、今囚われている感情の中に
「必要とされたい」  「頼りにされたい」
というのが出てきたんですね。

それが、ベースになっていて
「必要とされていない」という思い込みに、
とても感情をかき乱されていることに気付いたんですね。

思えば、その前夜、私は 夫に当たりました。

そして、次の日の夕方(ワークをした後)、娘の失敗を責めました。

夕食前になって
長男が、急な申し出をしてきて、そのために家族を巻き込んで外出しました。
運転しながらイライラしてました。

・・・書くと、たいしたことないですね(笑)

とにかく、私はふつふつと怒りがこみあげてきていて
ずっとピリピリとしていたんです。


でね、
お風呂に入ろうとして、ふと気が抜けて思ったんですよ。

私は、必要とされたいと、渇望しているくせに
家族から「必要とされる」のを全力で拒否っている、と。
「甘えてくんじゃねぇ!」と。 あ、引かないでね(笑)


夫に必要とされ、子どもたちに必要とされ
私の願いはとっくに叶っている。
当たり前すぎる満願。

それなのに、私は
「私がほしいのは、そんなんじゃねぇ!!」と
外にばかり、求めていたんですね。


じゃあ、私はいったい誰に必要とされたいの?


そこでした。 やっと向き合えました。


「おかあさん」 だよね。


バーストラウマのことを知った時、母にそのことは告げないで
私が生まれるときのことを電話で聞きました。

高齢で私を妊娠した母、当時は超音波モニターなどもなく
おなかのこの様子は生まれるまでわかりませんでした。

高齢だったうえに、胎動が極端に少なかった胎児(の私)

母は、とても心配したそうで
「生まれてくる子が正常であってほしい」と
それだけだったと、語っていました。

無理もないと思います。
母は私を妊娠したころ、小児科の師長をしていました。
生まれながらにして、重い病気や障碍を抱えている子をたくさん見ていました。

私の友人もそうだったんですね。
新卒でNICU(新生児集中治療室)に長年勤務していた彼女は

「( 早産などで早く )生まれてきたあかちゃんや、
御両親の様子( 赤ちゃんに愛情がわかない )に日常的に接していると
将来自分が子供を産むことに恐怖を感じる」

と言って悩んでいました。今は、2児の母ですが。

母も同じだっただろうなと、思うんです。
未知の体験に対する、よいイメージが持てなかった。

「正常であってほしい」

おなかの中にいた、本当に小さな赤ちゃんだった私に
母の求める「正常」の意味など、わかるはずもなく。

そうしたら、
「私は必要とされていない」 という感情と
「必要とされたい」 という想いが、
胸の中に再現されました。
わたし、こんなふうにずっと思っていたんだね、と。


お風呂から上がって考えました。

私は、今夫や子どもたちから必要とされていることを
「ありがたい」と素直に受け取れずに、どこかで拒んでいるんですね。

見当はついていますが、
このあたりの感情をもう少し、見ていって
私自身が、それを素直に受け入れられるようになったら

きっと私は外へ向かって
「必要とされたい」って発信しなくても
よくなるんだろうなと、思います。


イラちだったこと、子どもにもあやまりました。

そんな311でした。



* * * * * * * * * * * * * *



時に流され、時に見失い、時に疲れきって
大海を泳いでいるたくさんの命。

そろそろ、生まれた源流へ戻り
こころの原風景と向き合う時が来ています。

「新しい自分に出会うレッスン」 by cocoro-necco shop

こころ・ねっこ ショップ


【2015/03/12 10:00】 | わたし的日記
|


私は4月から本格的にインストラクターとしての仕事に取り組みます。


その準備として、
私はまず、心の中のそうじをすることにしたんです。


看護師・保健師として2年ちょっと働いたあと、
私は結婚して、仕事をやめ
長らく専業主婦をしていました。


そんな私が
仕事、しかも自営業をスタートさせるにあたり、
お金のこと、稼ぐこと、運営のこと、
さまざまなことに不安を感じていました。

ですから、できるだけそれをクリアにして、
仕事を始めようと思ったんです。




「今さら私がやったって」

「私にはムリ」




新しいことに取り組もうとするとき、
すぐに、心の奥からこんな想いが湧き出してきます。



自分の可能性にチャレンジするとき、
自分の足を引っ張るのは、他でもない、自分自身なんですね。


2月に入ってから、私は、お金や仕事に関して自分の感情と向き合いました。

どんなことが不安なのか。

どんなふうにに仕事をしたいのか。




そうしていくと、
自分の中に、足を引っ張る思い込みがたくさんあることに気付きました。
まず、これを解消していかないとな~と。


こうして自分を見ていく中で
今、新しいことにチャレンジされている方、
これからチャレンジしようとされている方と
シェアできたらいいのにな、と思うようになりました。



最初はWS形式での勉強会を考えていましたが
自分の時間でじっくり取り組めるように
音声データとレジュメを配布する、という形をとることにしました。


cocoro-necco shop


自分の好きな時間に、じっくり取り組める方が
いいかなと思ったんです。


レジュメを見ながら私の話を聞いて、講義形式で学ぶ方法です。
内容についてメールでの質問、
必要な方は、個人的な案件について相談にものります。



一人で取り組むよりも、グループでやるほうが、
場の力を借りていい結果が期待できることがあります。


もし、手にとって下さった方の中から
要望があれば、勉強会&グループセッションという形で
内容を深める機会をもうけたいと考えています。




なんとなく思うように行ってない

立ち止まっている感じがある

行きづまっている感じがある

もやもやとした不安や焦りを感じる

どのように自分を変えたらいいかわからない


そんな方に取り組んでもらえたらと思います。
・・・・なんて書いたら
「私 病んでませんし!」とか思われちゃうかしら。

まあ、興味をもたれた方、 どうぞ。
目からうろこな内容かもしれません。



4月から主催する「からだ改善クラス」を通して、
からだの根っこを育てる活動をスタートします。


並行して
こころの根っこを育てる活動をスタートさせます。



私自身がまだまだ学びの途中ですが、
それでも一緒に取り組んでみたい方がいらっしゃれば
とてもうれしく思います。



ありがとうございました。




【2015/03/09 10:00】 | 未分類
|
今も健在かしら。
昔、マインスイーパーという 一人用ゲームがありました。

地雷原から地雷を取り除くゲームですね。

20年も昔、「ロングバケーション」って一世を風靡したドラマがあります。
あのドラマの中で木村拓哉さんが山口智子さんと出会ったばかりのころ。

新郎に逃げられた痛い傷を持つ年上女の設定だった山口さん。

木村さんがなにか言うたびに

「あ、地雷踏んだ!」
って返してました。すごく印象に残ってました。

人には、触れられたくない傷があるんです。
ない人、いないでしょ。

それをね、自分も見たくないし、
他人にもね、自分がそんなもの持ってるなんて
とても恥ずかしくて知られたくないから、隠すんですね。

地面の下に。見えないところに。こそっと。

でもね、それは隠しただけで癒えてないんですよ。

ある日、通りがかりの人がうっかり踏んだんです。
地雷が埋まってると、気づかすに。

その人がなにげにした行動、口にした言葉が
地雷のスイッチだったわけですよ。

悪意なく、埋めた人の痛いとこ、うっかり突いたわけですよ。

そしたら、埋めた人、
「せっかく隠してたのに、見つけやがったなぁ!!」って
踏んだ人を怒っちゃったんです。

踏んだ人は、きょとん です。
「いや、ここに埋まってるって知らなかったし」

けれどね、埋めた人にとっては、踏んだやつが悪いんですよ。
で、踏んだやつを責めるんです。
「ひどいことされた!!」って。


<(_ _)>メデタシメデタシ


この埋めた側の怒りを、私たちは日常的に経験します。

私たちは、マイナスの強い感情を感じた時、それを誰かのせいにするんです。
誰かに「感じさせられた」と。

どうしてか

マイナスの感情を自分の手元に置いておきたくないんです。
だって、もともとは、
見たくないから、思い出したくもないから
隠しておいたものですからね。

それが、予期せず目の前に現れてたじろいだんです。

もう痛い想いはしたくないから。
これ以上傷つきたくないから。

嫌な気持ちになったのは
相手が手りゅう弾を投げてきたんじゃなくて
自分が地雷を持ってたからなんですね。

けれどもそれを認めるわけにはいかない。
とっさに 踏んだやつのせいにしたんですね。

「転嫁」と言います。

どうして相手に転嫁するのか。


自分の中に「被害者意識」があるからなんです。


被害者意識は
一見辛そうに見えますが、実はとても居心地のいい場所です。
「依存」のハーレムです。

あらゆる責任と変化と挑戦を引き受けなくてすむからです。

けれども、「被害者」でいる限り
地雷は増え続け、
遂には、みずから置いた地雷で一歩も前に進めなくなるのですよ。

地雷を片付けるのは、自分しかいません。

地雷はね、隠すから地雷になるのです。

掘り起こして、きちんと地雷の正体を見て

「あ~わたし、こんなことが痛かったんだね。
そん時はこれが自分にできる精いっぱいで、しょうがなかったよね。
でも必要ないんだから、いつまでも 持ってちゃダメだよね」と

気付いてあげることで、自然に消えてなくなるんですね。

私がブログで
地雷を見せまくっているのは、私の場合、
書き上げることで、地雷様が昇天していくからなんです(笑)
まだまだ、いっぱい埋まっていますからね~。


もし、誰かに対して、何かに対して
強い感情にとらわれるようなら、それは地雷かもしれません。

地雷は、いい加減 あなたに掘り起こしてほしくて
サインをおくっているだけかもしれません。

恐れずに、ひるまずに
向き合って
「な~んだ、こんなことだったのかぁ」と手放してくださいね。









【2015/03/04 10:00】 | わたし的日記
|
心の中でとりもどしたピンク・レディ(私の子ども心) 

ネットに画像がないかなと探したけど、
なにぶんその化粧箱の売名が分からないので、
めぼしをつけて何回か検索したけどヒットしませんでした。

セッションから2週間たって、年末に実家に帰省した時、
それでも現物がないかと思って探したけど、残ってはおらず。

ん~だって、2年前、
夏季休暇の夫を巻き込んでのコンテナ2杯分の大掃除の時に
私がこの手で捨てたのを鮮明に覚えてますもん。

ここまで33年とっておいてたんだから、
もうちょっと とっときゃよかったな~とちょっと後悔しました。

なんで、そのケースが33年もウチにあったかというと
今は亡き父が、私が高校生の時にちょっと大きな手術をしまして
そのケア用品入れとして長らく枕元で使ってたんですよね。

って、これも象徴的な話。


私(しかも高校生=まっさかり)は、父のいのちを繋ぐための
(というと大げさですが)
入れ物として、捧げられたんだな、と。

あ、これは象徴的な、エネルギー的な話です、引かないように(笑)

そして、それは私がこの手で処分した、と。

そして、セッションから2カ月たった先日
ふと、思い浮かんでネットで、検索してみたんです。

そしたら、じゃんじゃんヒットするの!
ビックリした~。

え~この前、全然出てこなかったのにね。
そんなもんですよね。

そして、その中には単なる画像ではなく、購入可能っぽいものも・・・。

状態のよさそうな画像、辿って行ったけど
それは中古ショップの2012年の記事だでした。
購入のしかたもわからないし。これは断念して。

試しにオークションサイト覗いたら
・・・ありましたありました。

状態はよかったんですが、それはケースのみでした。
そして、ちょっと高いかな~・・・・。

他にも、と探したら、その値段よりも安くて
箱も中身もすべて揃ってるものが出品されていたんです。

ちょっと、軽く感動。

どうする? どうするどうする・・・。

しかし、これは本当に手に入れなければならないのか?
それは単純に低次元な「欲」ではないのか?
決めかねましたね。おとな的衝動買いの範疇ではないかと(笑)

チェックしてたのに、期限をうっかり忘れていてオークションが終了してしまい
再出品のタイミングで「ぃよし!」と思って落札しました。

そして、それが手元に届いたんですが。

通販のようにすぐ開けることが、なぜかできなくて丸1日置いてました。
そうそう取引相手の評価をしなきゃ、と開封したのが3月1日。
でもその時もさーっと見ただけでした。

そして、昨日
昼間、誰もいない部屋で私の中では改めて届いたものと対面しました。

それは箱だけでなく、なんと注意書きのシートまでそろってました。
古い・・・けど、未使用、すべて揃ってる、という。




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デジャヴって、こんな感じなのかな。



箱を見ていると、
記憶の何かが反応するようで
心の奥の方で「知ってる」「知ってる」ってざわざわするんです。



箱の中身、
小さい頃、買ってもらった当初の記憶しかないけど、当たってました。




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35年も昔のクリームや乳液の甘い香り。
劣化した安い香りだけれど、これは私の失われた記憶の香り。



リップクリームは覚えてました。
くるくる回して出したのを思い出したんです。
それは没収される前に、箱から抜いて私が持ってたのかもしれないな。


他の用品は、ほとんど記憶にありませんでした。



なかったんだけど、ずっと見ていると

あれ?私、本当は没収されなかったんじゃないの?
本当は私が持ってて、うっかり紛失してしまったのを
「母にとられた」って思いこんだだけじゃないの?
そんな気がしてきて、記憶があいまいになって
ちょっと戸惑いましたね。


そしたら、意図したわけではなくイメージが浮かんできたんです。


5歳のころの私。

私に向かって立っている。

箱を両手で持って、目をキラキラさせて喜んでいる。

「いいの?」
私はイメージの中で答えた
「いいんだよ。これはずっとあなたのものだよ」

「うれしい!!」って小さな私が言った。
箱を抱きしめている。

私は言ってあげた。
「あなたが女の子に生まれてきてくれてよかった。
女の子として、楽しいこといっぱい経験して幸せになってほしい」

私は小さな女の子を抱きしめてあげた。

そして一瞬でイメージは消えました。

こうやろうとか意図したわけではなく、
ごく自然に、スクリーンに映し出されるように、そんな光景の中にいたんですね。

それでわかりました。

落札したことにちょっとうしろめたさ(衝動買い)があったけど
手に入れてやっぱりよかったんだと。

私の中の小さな女の子はすごく喜んでいたんです。
そして、ずっと抱えていた想いは昇華されたから
記憶が書き変わったんだと思いました。

先ほど、箱を目の前にして、
これまでの「母に取られた」という記憶(正確に言うと感情)が
曖昧になってたのは、
きっと私の記憶の中で、「取られた」というタイムラインが消えて
「ずっと持ってた」というタイムラインに乗り替わったからなんだろうな、と。

びっしりと名前を書いて、必死に守っていたケースはもうない。
そして、新しいケースが、やってきた。

ずっと前からあったかのように、入れ替わったんですね。


だから、思い出そうそしても、もうその感情を思い出せないんです・・・。

風立ちぬじゃないけど、ふわっと抜けて、どこかへ行っちゃっいました。

そして、私がイメージの中で小さい私へ伝えた想いは
実の母のわたしへの本当の想いでもあり
母となった私の娘っちへの想いでもあるんです。
そのことに気付きました。


屈折して伝えられなかった本当の想いに気付く。


今日は ひな祭り。

ピンク・レディは、このタイミングでやってきました。



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【2015/03/03 10:10】 | わたし的日記
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